歩こう会100回
第100回 春のすぎなみ区民歩こう会
イベント・大会
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歩こう会
第100回 春のすぎなみ区民歩こう会
目黒天空庭園へ
日 時 | 2019年5月19日(日)・5月25日(土)★雨天決行 ※お好きな日にご参加ください |
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集合時間 | JR原宿駅(表参道改札口を出て代々木公園入口にて受付) 午前9時30分〜10時(10〜15人程度で、班ごとに順次出発します) |
お申込み | 不要です |
対 象 | 区内在住、在勤、在学で全行程を歩ける方(小学生以下は保護者同伴) |
参 加 費 | 無 料 |
持 ち 物 | 健康保険証、帽子、 弁当、飲み物、雨具 、敷物など |
コ ー ス | JR原宿駅→代々木公園→駒場公園→駒場野公園→目黒天空庭園→ 西郷山公園→代官山駅 |
お問合せ先 | 公益財団法人杉並区スポーツ振興財団 「区民歩こう会」 〒166 0004 杉並区阿佐谷南1-14-2 みなみ阿佐ヶ谷ビル8階 TEL:03-5305-6161(平日9時〜17時) 当日の連絡先TEL:080-6516-1649 |
運 営 |
主催:公益財団法人杉並区スポーツ振興財団 後援:杉並区 主管:すぎなみ区民歩こう会実行委員会 ※天候等の理由で中止になる場合がありますので、当WEBをご覧ください。 |
ご案内 | MAP |
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100_guide.pdf |
100_map.pdf |
ワンポイントガイド | |
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■都立代々木公園(とりつよよぎこうえん) 東京23区内の都市公園で5番目の大きさ。およそ東京ドーム11個分。 都会で一番広い空が見える森林公園。この地は江戸時代には江戸城防衛のために配置された大名や旗本の屋敷群の連なる武家地であった。明治には陸軍の練兵場になり太平洋戦争後は連合国により接収されワシントンハイツとなった。その後、返還されて東京オリンピックの選手村になるという変遷を経て昭和42年(1967年)に開園となった。 |
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■オリンピック選手村(おりんぴっくせんしゅむら) 昭和35年(1960年)に、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの開催が正式に決定。昭和36年(1961年)には連合国によるワシントンハイツの接収が解除され、オリンピックの選手村が建設された。ワシントンハイツ内には、249棟543戸の木造住宅と、4階建て鉄筋の14棟のアパートがあり、それらをそのまま転用して、選手のための宿舎に充てた。今、公園内に一棟だけ残るその建築物はワシントンハイツの中では小型の住居で、選手村時代はオランダ代表選手が使用していた。 |
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■オリンピック記念樹(おりんぴっくきねんじゅ) 昭和39年(1964年)のオリンピックに参加した選手たちが、自国の代表的な樹木の種子を持ち寄って開園時にオリンピック記念苗園が造られた。当初22カ国、24種の種子が集まり、それらは林業試験場などに送られて育成され、昭和42年(1967年)に苗木の状態で代々木公園に植えられた。10種30本が現存。 |
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■東京大学駒場キャンパス(とうきょうだいがくこまばきゃんぱす) 東京大学独自のシステムとして、入学した全学生は1・2年の間は「前期教養学部」という学部に所属し、駒場キャンパスでリベラルアーツ(教養教育を修める。この一帯は古くは駒場野と呼ばれ、徳川八代将軍吉宗のころから、将軍家の御狩場になっていた。1号館及び時計台は 昭和8年(1933年)完成。設計は内田祥三(うちだ よしかず)と清水幸重(しみずゆきしげ)。 本郷の安田講堂と同じ様式である。 |
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■一二郎池(いちにろういけ) 本郷キャンパスにある夏目漱石の長編小説『三四郎』のモチーフとなった三四郎池にちなんで池の愛称は「一二郎池」。平成20年(2008年に荒廃した池は遊歩道などが整備されビオトープ化された。池を一人で見に行くと、受験生なら浪人し、東大生なら留年するという学内伝説がある。 |
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■神山町大使館通り(かみやまちょうたいしかんどおり) 都内には151ケ国の大使館がある。渋谷区は港区に次いで多く、25ケ国の大使館がある。神山町にはイラク共和国、ヨルダン・ハシェミット王国、ニュージーランド、モンゴル国、コンゴ共和国、ラトビア共和国の6ケ国が点在。NAVITIME参照) |
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■駒場公園(こまばこうえん) 加賀百万石(現在の石川県)の当主だった旧前田家の前田利為(まえだとしなり)侯爵駒場邸跡であり、園内には旧前田家本邸である和館と洋館が現存されている。建物は、昭和初期の和洋両建築の粋を集めたもので、化粧レンガやタイル張りのほどこされた洋館は昭和4年1929年)、書院づくりの和館は昭和5年1930年)に完成した。大戦後は、連合 軍司令官の官邸などとして使われ、昭和42年1967年)に東京都が公園として開園した。 |
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■駒場野公園(こまばのこうえん) この一帯は、駒場野と呼ばれ、明治になると、農業の近代化を図るため、駒場農学校が開校し、近代農業の総合的教育・研究の場となった。明治14年(1881年)この農学校にドイツ人ケルネル氏が農芸化学の教師として着任し、土壌や肥料の研究を行って大きな成果をあげた。園内にある水田はこの実験を行った場所で、農学発祥の地「ケルネル田んぼ」と呼ばれ、稲作は筑波大学付属駒場中・高校の生徒さんによって今でも行われている。この駒場農学校の移転跡地に造成されたのが駒場野公園。 |
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■目黒天空庭園(めぐろてんくうていえん) 首都高3号線渋谷線(地上約35m)と首都高中央環状線(地下約35m)は約70mの高低差がありこれを結ぶため2回転のループ形状で建設されたのが大橋ジャンクション。騒音対策のため、道路を壁と屋根で覆った構造になっている。ジャンクションの建設にあたり環境対策として屋上及び壁面緑地化事業を行うとともに、目黒区が大橋ジャンクションの屋上に約7000平方メートルの都市緑地を整備した。天空庭園は、ループ状の道路に沿った珍しい形状で、長さ400m、幅16〜24m。高低差は24mで最も高い所は地上から35mあり、天気のいい日は富士山も望めるという。 |
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■菅刈公園(すげかりこうえん) 青葉台二丁目のこのあたりは、江戸時代には「荒城の月」で知られる豊後の岡藩の屋敷があり、滝や池のある回遊式の大名庭園として、江戸時代の地誌に江戸の名所として紹介されていた。その後、明治7年1874年)に西郷従道(さいごうじゅうどう)がこの土地を購入し、洋館や和館を建造した。 庭園についても、池・滝・大芝生地など大改修が行われ、「東都一の名園」と言われた。その後、旧国鉄の職員宿舎などとなっていたが、平成9年1997年)の調査で、庭園調査を行い、在りし日の名園の姿を一部復原した公園として整備された。 |
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■西郷山公園(さいごうやまこうえん) 公園名の由来はこの土地が旧西郷邸(西郷隆盛の弟で明治期の政治家・軍人であった西郷従道の敷地)の北東部分にあたり、付近の人々が「西郷山」という通称で親しまれていたところから決まった。台地の端の斜面を利用してつくられた公園で、斜面には20メートルの落差をもつ人工の滝が作られているほか、鹿児島から寄贈された桜島の溶岩もあり、冬のよく晴れた日には遠くの富士山も望める。「東京ラブストーリー」で使われ、一躍有名になった。 |